ホーム » 【特別寄稿】ブロック解除で「一生できない」と思っていたことができた!初の海外旅行がケニア・・・52年前アフリカで事故死した父の事故現場に行き当時を知る方と会うことができました!

【特別寄稿】
ブロック解除で「一生できない」と思っていたことができた!
初の海外旅行がケニア・・・53年前アフリカで事故死した父の事故現場に行き当時を知る方と会うことができました!
マインドブロックバスター 岩倉 佐波吏

【特別寄稿】
ブロック解除で「一生できない」と思っていたことができた!
初の海外旅行がケニア・・・53年前アフリカで事故死した父の事故現場に行き当時を知る方と会うことができました!
マインドブロックバスター
岩倉 佐波吏

*目次

53年前、私が1歳の時に父は日本から遠く離れたケニアの地で事故死しました。父が眠るケニアに行きたいと思い続けながらずっと叶わなかったその夢は、ブロック解除で私自身が変わったことであっという間に実現しました。マインドブロックバスターのお仕事に関わりブロックを解除したら起きた奇跡のような父の弔い旅行。その一部始終をお話します。

岩倉佐波吏
マインドブロックバスター 公認リサーチャー (掲載時はペンネーム)

マインドブロックバスターの公認リサーチャーに応募する

私、岩倉 佐波吏(さはりと読みます。本名です)に起きた奇跡をお話しします。

私がマインドブロックバスターになったのは2015年の2月です。

もう8年も前になるのですね。

その後フォローアップの機会など栗山葉湖先生には何度かお会いしていますが、後で言われたようにその頃の私はやたらと「お金がない」という話をしていて「お金のブロック」のかたまりでした。

そこから8年の歳月が過ぎ、、、それでもマインドブロックバスターを完全にやめることはなく、こまごまと効果を感じながら主に自分にブロック解除をすることを続けてきました。

娘たちが成長し、自分にもそれまでよりゆとりができたところで公認リサーチャー募集のメルマガをみて、やってみようかなという気になりました。

私が応募したのは2022年12月でした。

*公認リサーチャーというのは・・・マインドブロックバスター、インストラクターの中から日々世の中の心のブロックについて調査し、心のブロックに悩む人のために「お役立ち記事」を執筆、主に協会の最新トピックスを更新しているプロ集団です。

未体験の仕事への不安をブロック解除

自信があったわけではなく、応募して久しぶりの個別相談で栗山葉湖先生とお話し、リサーチャーの仕事を聞いて「今の自分にとって、心のブロック解除をたくさんの人に届けるにはこの仕事が最適だ!」と感じたのです。

もちろんリサーチャーとしてスタートする時に何かと「大丈夫かな」など不安が出てきます。私は、まず自分にブロック解除をしました。

「未体験のことは怖い」

「やりたいけど無理かも」

このブロック解除のおかげでなんとか落ち着けて、公認リサーチャーの一人として頑張るぞ、という気持ちになりました。

なったからにはたくさんの記事を書こう。

私はミーティングに出て栗山葉湖先生や共に参加している全国の仲間と触れ合い、「伝わる」文章の書き方や考え方を学び、記事を書くことでさらにブロック解除が日々の当たり前になる時間を過ごし始めました。

それからわずか1ヶ月後の1月5日。なんと私は、家族と一緒にケニアに行くことを決めていたのです。

佐波吏(さはり)という名をつけてくれた父

sahari_father

私とケニアの関係は、というと、まず私の名前を見てください。

佐波吏(さはり)、珍しい名前だと思いませんか?

この名前は私の亡き父、森西栄一が私に付けてくれた生前の贈り物なのです。

父は53年前、サファリラリーに出たくて出たくて、生まれた娘の名前を佐波吏と名付けました。

サファリラリーに参戦している日産の関連会社に勤務していましたが、その時の職ではドライバーで参加することはできず、どうしてもドライバーとして出たいと、チームとしてではなく個人でサファリラリーにエントリーしたのです。

まず試走にと決めた1970年のペプシコーララリーに出場できることになりました。

ところが、船便で運ばれてくる予定の車が到着しません。
諦めかけたところ、日産チームから車を借りて出られることになったのです。

亡くなる前日に書かれた手紙には、念願の地での度重なる幸運、これは結果を出さねばと書かれていました。

ところが当日時速160キロで走行中、砂埃の中から突然現れたタンクローリーと衝突して亡くなったのでした。

53年前の日本ではケニアに行くなんて普通のことではありませんでした。

私は当時1歳でした。

遺体がそのまま空輸されてくることもなく、父は現地で荼毘に伏され遺骨で日本に帰ってきました。

私には父との思い出は何もありません。

佐波吏という名前だけが父と私を繋ぐ唯一の絆でした。

ケニアに眠る父に会いに行きたいけれど・・

私自身、亡き父の最期と向き合いたいとこの間、何も動いてなかったわけではないのですが、「お金がない」が口癖だったように、現実の生活に追われ「このまま一生ケニアに行くことはないかもな」とも思っていました。

年月が過ぎれば当時の関係者と連絡が取れにくくなり、お金もないし、長い休みなんて取れないし、英語できないし、、、と「行けない」理由はいくらでもありました。

今まで私はケニアどころか「海外旅行」すら行ったことがなかったのです。

パスポートも取っていませんでした。

ブロック解除がケニア旅行の背中を押してくれた!

それが、リサーチャーとしてブロック解除により深く参加するようになったところでFacebookのつながりだけで会ったこともない亡き父の友達の方から「日本からケニアへの渡航レベルが1になったよ」と知らされたのです。

その時、反射的にと言ったほうがいいくらいの素早さで「2月の父の命日に、父の事故現場に手を合わせに家族でケニアに行きたいです!」と返信していたのです。

自分でも驚くほどの即断でした。家族に相談すらしていません。その晩「来月、ケニアの事故現場に行くことにしたけど、行きたい人」と言うと家族全員が手を挙げ、賛成してくれました。

53年前ケニアで亡くなった父の事故現場に行きたいと思っていても、あまりに遠い外国。無理な理由がありすぎて、あきらめかけていたのに。

それがリサーチャーに応募してブロック解除をすることで、背中を押されたかのようにスッと未知の世界に飛び込んでいけたのです。

不思議なことに「行く」と決まってしまうと、勤めがある家族の休みも取れたし、臨時収入もあって、家族の旅費もちゃんと用意することができました。

言葉の壁は翻訳機とスマホの翻訳機能でなんとかなる!

家族みんなでケニアに到着

そして今年、2023年2月13日の父の命日。

私は家族と一緒にケニアに立っていました。

父のことを知りたいと思い、国内で父を知る方を訪ねては話を聞いていましたが、父の事故現場を知る方の訃報を聞くたびに、もう一生その場を知ることはないのかもしれないとさえ思っていたのです。

IMG_2739

ここが事故現場です。

ケニアもそれから53年経ったのですが、南半球の夜空は日本とは圧倒的に違う満天の星でした。

現地では、父がケニアで喜んだ食べ物や飲み物を味わい、ガタガタ道を運転して案内していただきました。

昼と夜との寒暖差の激しい気候に驚き、父が最期に見たであろう景色を家族で体験することができました。

特に南半球に行くことで楽しみにしていた南十字星を見ている時には「これを見せたかったんだよ」と亡き父の声が聞こえたような、隣に立っているような気がしました。

父は当時37才。

どんな思いでいたのか、父を追体験したような不思議な感覚にもなりました。

当時の父を知る方からのたくさんのサプライズに感動!

この現場を案内してくれたケニア在住のインド人の方は当時23歳
事故現場を知る中では最も若い人でした。

現在75歳の彼は日本語は話せませんが、この旅に同行してくれて、

事故の様子、荼毘に付した時のこと、

骨壷に入りきらなかった遺灰を撒いたナクル湖の詳しい場所、

全てを優しい英語で教えてくれました。

IMG_2749

遺灰を撒いたナクル湖。増水のため撒いた岸辺は水没していました。

彼はケニアでエイズ孤児のために施設を運営する志ある事業をされています。

私が行くと決まってから、ひと月の間に彼の経営する学校の中に父の名のついたガゼボ(あずま屋のような建物)を作り、私にテープカットをさせてくれました。

なんと、父の名のついたアカシアを用意して植樹セレモニーも用意してくれていました。

さらに感動的なことに、当時父が彼にプレゼントした時計を私にプレゼントしてくれました
その時計はバンドも綺麗でまだ動いていて、大切にメンテナンスしていてくれていたことがわかりました。

父からのサプライズ?珍しい動物に会えたミラクル

また現地では、父が呼んでくれたとしか思えない珍しい動物たちの出会いもたくさん起きました。

絶滅危惧種である白サイが父の遺灰が沈むナクル湖畔で寝そべっていました。

妊娠中のキリン、木に登ったライオン、親子のカバとワニが仲良く同じ川でいたり、通常は群れないチーターが兄弟3頭でいたりもしました。

ゾウの親子連れ、実はなかなか会えない雄ライオン
鳥や植物も珍しいものばかりでした。

現地のドライバーもここまで見られるなんてミラクルだと言っていたほどです。
(写真はいずれも正真正銘、現地で私たち家族が撮ったものです!

ブロック解除で潜在意識が変わるとすべてが変わりました

ケニアまで行って帰ってきた今ではなぜあんなに「無理無理」と思って人にも言っていたのか信じられません。

実は自分が無理と思っているだけで、やってみたら全然実現できることだったのです。
ブロック解除が潜在意識から変化を起こして人の背中を押してくれるって、ブロック解除していた仕事のことだけでなく、人生のあらゆることに波及効果があるんですね!

栗山先生からはそんな話も聞いていたのですが、まさかこんな短期間に自分に起こるとは思っていませんでした。

家族の変化とこれからの夢

実は同行した娘たちも英語が苦手、人とコミュニケーションを取ることにも何かと躊躇があったりしたのですが、母に起きたこのミラクルに驚き、現地では人前で堂々と話すような場面もありました。

娘たちはケニアでの経験は本当に刺激的で「人生観が変わった」と言っています。

帰国後は苦手なものに積極的に挑戦するようになりました。

私は今、父の絶筆を始め、この体験をSNSで発信し、父の生きた証を残そうと動いています。

この出来事を通して私はさらにブロック解除を広めていきたいと思いを強くすることができました。

マインドブロックバスターのブロック解除は無理だと思っていたことがとんでもない奇跡となって実現するかもしれません。

私は身をもって体験しました。

最後にこのチャンスとホームページに特別寄稿としてコーナーを与えてくださった栗山葉湖先生とこの旅を実現させるため関わってくださったみなさん、そしてきっと天から52年間この時を待っていた父、森西栄一に心から感謝を捧げます。

ありがとうございました。

マインドブロックバスター 岩倉佐波吏

サイト内検索

最新のお知らせ